いつの間にやら、齢(よわい)、七十を超えると私よりも先を歩む人は少なく、後をついてくるものが多くなりました。
『安楽集』にいはく「前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり」と。
無限のつながりを想いつつ・・・。
慌てるとろくでもないことが
多いようです。
何事も“一呼吸”が一番ですナ。
プランターに植えた
「さやえんどう」。
早くに採りすぎてヘタを取ったら
エンドウ豆の姿なし・・・。
『慌てるものは
“もらい”が少ナイ・・・』
一人ぼっちになった淋しさ孤独さ。
「なんのなんの、お前を照らし守り続けているワシがいるではないか。気づいてくれよ、とお天道様。
太陽の恵みに手を合わせることを忘れた現代人よ、お月様にダンゴを供え花を手向ける古の人をあざ笑う人達よ、昼は光にはぐくまれ、夜は皓々たる月に見守られて眠りに付く。
何と有難いことよ、南無南無。